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  3. I.大阪医科大学のあゆみ

大正の末期から、わが国の社会情勢は既存の医学部、単科医科大学および四年制の医学専門学校のほかに、新しい医育機関新設の気運を醸成した。
このような情勢のもとに、当時衆議院議員であった吉津度氏は五年制医学専門学校の構想のもとに、その設立に全精力を傾注された。その結果、昭和2年2月本学の前身である大阪高等医学専門学校の設置が認可され、同年4月わが国最初の五年制医学専門学校として開校の運びとなった。
初代校長には足立文太郎先生(解剖学)が就任され、良医養成をモットーに“懸命不動”の精神を学生に鼓吹された。教授陣には京大、阪大を中心とした新進気鋭の学者が迎えられ、足立校長を輔けて医学教育の実をあげられた。当学園建設の将来を語り合う同志でもあった。
昭和7年3月、藤堂献三氏が理事長代理に就任され、5月には、戸田正三先生(衛生学)が第二代校長として迎えられた。こうして大阪高等医学専門学校の発展の態勢が固められた。
戸田校長の豪放磊落な人柄は今なお多くの本学先輩の記憶に残るところで、先生が常にモットーとされた“身康則神明”は初代校長の“懸命不動”と共に学生の座右の銘として永久に残るものである。
第二次世界大戦のさなか、戸田校長ご退任のあとをうけて、昭和17年4月松本信一先生(皮膚泌尿器科学)が第三代校長に就任され、“学を離れて医はなし”との教育理念のもとに、大阪高等医学専門学校は次第に医科大学へと発展の一路をたどることになった。
やがて世界大戦の戦後の混乱のなかで、昭和21年に旧制大学令による七年制大阪医科大学の設置が認可されてまず予科が発足し、初代学長に前記の松本先生が就任されたのである。
しかしながら、この予科は昭和26年3月教育制度が改革され旧制高校、予科制度の廃止により本学予科も第4期生修了と共に廃止され、予科を修了して学部へ進学した者は全部で324名であった。
この昭和26年に本学の組織は財団法人から学校法人となり、昭和27年に新制度の大阪医科大学の設置が認可された。かくて五年制の大阪高等医学専門学校、旧制大阪医科大学、と現大阪医科大学は、優秀な卒業生を全国に送り出し、それらの卒業生はそれぞれの職域で、社会に貢献しているのである。
その後昭和31年に本学の学位規程が制定、昭和34年に大学院医学研究科の設置、さらに昭和40年には医学進学課程の設置がそれぞれ認可されるに至った。
昭和44年2月本学の発展に、幾多の業績を挙げられた松本信一学長が勇退されたので、その後の約2年間は大村得三先生(法医学)が学長を代行、昭和46年6月第二代学長に細川修治先生(病理学)が、ついで昭和52年6月第三代学長に山中太木先生(微生物学)が就任され、昭和56年6月から宮崎重先生(泌尿器科学)が学長代行となられた。
この間に本学は大学および附属病院全体の総合的な増改築計画を始めるとともに、昭和43年に北側に隣接した京都大学化学研究所の土地と建物を得て、本大学将来の教育、研究施設拡充への布石を敷くことができたのである。
昭和46年6月藤堂献三氏のあとを継いで、常務理事廣瀬藤介氏が第三代理事長に就任、引き続いて教学面の充実と、大学の施設を更に新しく拡充することに専念された。
即ち進学課程校舎の増改築、体育館・弓道場等を新築、基礎医学部門では実験動物センターならびに全国から注目される理想的な講義実習棟を、臨床医学部門では拡充が逐次北へ向かって中央診療棟・臨床講堂・6号館の新築と広い北門の開設へと順に進み、昭和58年には昭和5年以来の附属病院玄関を中心とした建物を、病院管理棟に改築したので、本学の診療部門は構内の西側に、南から北へ向かって整然と立ち並ぶに至った。
次いで昭和58年6月早石修先生(生化学)が第四代学長として迎えられ、昭和60年6月理事堀井五十雄氏が第四代理事長に、平成3年6月理事宮崎重氏が第五代理事長に就任された。
任期満了に伴う後任として松本秀雄先生(法医学)が第五代学長として平成元年6月に就任された。
永年の懸案であった新総合研究棟が専門課程の学舎のほぼ中央部に地下1階地上12階の規模をもって平成2年2月に完工し、基礎・臨床の全ての講座が同じ研究棟内にまとまり、総合的な能率と機器共同利用センターの共同利用のうえで多大の便宜を加えた。また、これも長年の懸案であった本館・図書館棟の建築が平成6年5月に竣工した。
そして、任期満了に伴う後任として藤本守先生(生理学)が第六代学長として平成7年6月に就任され、平成7年12月理事田中忠彌氏が第六代理事長に就任された。
次いで、平成11年6月より島田眞久先生(解剖学)が第七代学長に就任され、平成15年12月理事國澤隆雄氏が第七代理事長に就任された。
また、平成13年3月には本部キャンパス北側に隣接する日本鉄道建設公団の土地を本部北キャンパスとして、同年4月には準学校法人大阪キリスト教青年会(高槻YMCA)を本学校地、校舎として購入し、本部北西キャンパスとして教育の場となっている。更に、平成15年6月には教育センターが設置された。
平成16年4月には、附属病院西側に隣接する旧住友重機社宅跡地(本部西キャンパス)を取得した。
次いで平成17年6月、任期満了に伴う後任として植木實先生(産婦人科学)が第八代学長に就任された。
平成17年12月には新学生講義実習棟が竣工し、教育環境の充実が図られた。
平成21年6月には、任期満了に伴う後任として竹中洋先生(耳鼻咽喉科学)が第九代学長に就任された。
また、平成21年10月には文部科学省から看護学部の設置が認可された。
平成22年4月理事植木實氏が第八代理事長に就任された。
そして、平成22年4月看護学部を開設し、林優子先生が初代看護学部長に就任され医療系複合大学として新たなスタートを開始した。
さらに、看護学の教育研究者と高度専門職業人である専門看護師を育成するため、看護学研究科看護学専攻博士前期課程(修士)及び博士後期課程(博士)の設置を申請、平成25年10月31日付をもって認可された。
平成27年には任期満了に伴う後任として、大槻勝紀先生(解剖学)が第十代学長に就任された。