嗚呼黎明

 大阪大学の前身の一つ,旧制大阪高等学校の代表的な寮歌である.「大阪高等学校全寮歌」が正式名称であるが,歌いだしを取って「嗚呼黎明」と言われることもある.ただ,私が在学した1970年代後半においては学内では「全寮歌」と呼んでいた.

 ネットを渉猟すると,結構な数の記事を見つけることができる.屋上屋を重ねることは避けるべきであるが,それらに書かれていないことを記し,また明らかな誤りについて修正しておくのも価値があると考え,この小文をしたためた.残念ながら本寮歌は曲,歌詞とも JASRAC 管理下にあるため,歌詞を紹介することはできないが,大阪大学のウェブサイトにあるのでそれを参照されたい(ただし,当該ウェブサイトの歌詞は新仮名,旧仮名が混在している).

 本寮歌が作られたのは 1923 年(大正 12 年),大阪高等学校の開校の翌年である.その当時の時代背景を見ると,世界的には第一次世界大戦(1914 年 − 1918 年)とロシア革命(1917 年)があり,革命干渉戦の一環であったシベリア出兵にからんで国内では米騒動(1918 年)が起こった.少し前には辛亥革命(1911 年)と中華民国の成立(1912 年)があり,1912 年には美濃部達吉の「天皇機関説」,1916 年には吉野作造の「民本主義」が発表され,立憲政治,普通選挙の機運が高まっていた.そして米騒動の終息後,原敬による最初の本格的な政党内閣(1918 年)の成立を見たのである.

 ところが,原敬は 1921 年 11 月に暗殺される.1923 年には関東大震災の直後甘粕事件が起こり,1925 年には治安維持法が制定され,時代が大きく変わることになる.

 本寮歌が第一高等学校の「嗚呼玉杯」を意識して書かれていることはよく指摘されることであるが,「嗚呼玉杯」が作られたのは 1902 年であり,その歌詞には日清戦争後の拡大する日本を担うという自負が強く感じられる.それに対して「嗚呼黎明」は確かに口上において「嗚呼玉杯」の五番の「魑魅魍魎も影ひそめ」の句,三番において「嗚呼玉杯」の一番の「玉杯」「耽りたる」「低く見て」の流れを剽窃と言ってもいい形で使っているが,全体の雰囲気は「嗚呼玉杯」と随分異なっている.それには上記の時代背景が影響していることを見て取れる.

 一番は明らかに革命歌「嗚呼革命は近づけり」に類似しているが,それは最初のところだけであり,「目覚めよ市井の貧窮児」は学校近くの帝塚山を指して「帝陵山下の熱血児」となり,最後は「侃諤の弁地を払ひ 哲人の声消えんとす」という独自の句で結ばれている.時は「大正デモクラシー」とも言われた時代が終焉を迎えようとしていた頃である.「侃諤の弁」は正々堂々とした言論のことを指している.それが払底した,ということは,それを抑え込もうとする動きや未だ真相の明らかになっていない原敬暗殺事件,普通選挙との取引材料となった治安維持法制定へ向けての動き,など日本全体を覆う不穏な空気全体を指しているのかもしれない.

 一番を受けて二番では「暁鐘は鳴り響く」の句が核となっている.当時の学校の所在地から考えて,これは四天王寺の鐘であろう.四天王寺は摂津,河内,和泉の三国の境に近く,上町台地に位置する寺からは当時広々と開けた三方,すなわち「三州の野」―三州とは摂州,河州,泉州―に向かって鐘が鳴り響いていたことが想像される.この鐘は激動の時代への覚醒を促す文字通りの警鐘であるが,一方,「旧殿堂の奥深く眠れる魂」を醒ます,ともある.「旧殿堂」が何を指すかは不明であるが,古くて立派な建物であるならば,一つの可能性は四天王寺そのものであろう.そうすると「眠れる魂」は一番の「哲人」のことと考えることができ,哲人の声の復権ということで一番と二番の意図が符合しそうである.

 三番は前述の通り「嗚呼玉杯」の一番へのオマージュであり,理解はたやすい.冒頭の「城南高し三層楼」は大阪城の南に位置する学校が鉄筋コンクリート三階建ての立派なものであったことを指している(http://www.osaka-u.ac.jp/daikou/monu/monu.htm).ただし,この三番は二番と四番の間にあることに意味があるかもしれない.

 四番は唐突にアテネ,ローマへと飛ぶように感じられるが,よく考えるとそうではない.これは近現代のことではなく,古代ギリシャ・ローマのことである.一番に歌われる「哲人」が輩出したのが古代ギリシャであり,実学としての科学が発達したのが古代ローマである.文科と理科を擁した旧制高校の均整が表れていると考えるのは穿ちすぎであろうか.私が奉職する大学の哲学の先生から嘗て「やはり哲学は最後はギリシャ哲学に行き着くのですよ」ということをうかがった.そのことを思い出すと,結びの「三つ星いまだ光あり」は古代ギリシャの哲人の英知が今でも価値があるという暗喩に感じられる.そうすると,二番は東洋の,四番は西洋のそれぞれの叡智を歌っていることになり,それに挟まれた三番の位置に意味が出てくることになる.

 五番は第一高等学校の寮歌「仇浪騒ぐ」の四番の,これまた剽窃といえばそうなるのであるが,もしも 1970 年代後半の在校生の間で人気投票すれば,この五番が一位になったのではないだろうかと思われる.「三春秋」は旧制高校は三年制であったことを示している.

 最後の六番については,「ローレル」が大阪高等学校の校章(http://www.osaka-u.ac.jp/daikou/index.htm#hazime)であることから,「美鳥」は自分たちのことであり,卒業して雄飛する姿に思いを馳せているのがわかる.

 全体をもう一度見返すと,激動の時代が始まろうとするときにあって,古代の叡智の復権を主題に日々研鑽に努め,日本が進むべき道を見通して社会を牽引する人材たらんとする意図が,見事な構成で書かれていると考えることができる.五番は他と趣を異にしているが,それでも浮いた感じがしない.本寮歌が大正という時代の空気を反映していること,そして一見無関係に思われるそれぞれの歌詞が有機的につながっていることを指摘しておくことは意義のあることと思う.

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